GUEST 辺見芳弘さん

慶應大学商学部を卒業後、1980年三井物産に入社。ハーバード大学でMBA(経営学大学院修士)を取得後、米国三井物産で投資総括業務を担当。1990年ボストンコンサルティンググループに入社。帰国後の1998年、同社パートナーに選任。1998年にアディダスジャパンに入社し、2001年に副社長に就任。2004年東ハト代表取締役社長に就任。2007年にインテグラル取締役パートナーに就任。ヨウジヤマモトの事業再生を手掛けた。
鳩山
今日はハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の大先輩なのでいささか緊張しております。
辺見
はじめまして。お気になさらず何でも聞いてください。
鳩山
ありがとうございます。最初にこれまでのキャリアを教えていただけますか?
辺見
大学を卒業して三井物産に入社して、HBSに三井物産の企業派遣で行かせてもらいました。卒業後に3年ほどニューヨークの三井物産に勤めた後、ボストン・コンサルティング・グループ(※1)に転職しました。日本に帰ってきてパートナーに選任されて、その時にクライアントだったのがアディダスジャパン。その縁もあってアディダスジャパンで副社長として日本法人の立ち上げをやって、それから東ハトの再生の仕事を社長として2年半やりました。
鳩山
錚々たるキャリアです!
辺見
それから新しい形の投資ファンドを作るということで誘われて、2007年にインテグラルを創業しました。その2年後にヨウジヤマモトの再建の話が入ってきて……。
鳩山
かなり思い切った挑戦だと当時は思いました。
辺見
たしかに業界ではかなりザワつきましたね。でも私は周りを異質な人間で取り囲むと育つタイプなんです。刺激がないとダメで、自ら虎穴に入るたちでして(笑)。
鳩山
ブランドにそれだけ魅力があったということでしょうか?
辺見
そうですね。山本耀司さんとはアディダスの時にY–3で接点があって、世界でどれほど尊敬を集めている方なのかを分かっていました。ブランドビジネスはコアの根っこが強ければ、そこからどう広げるかが成功の鍵です。例えばアディダスは日本では、90年代まで本来のコアであるスポーツの部分と三本線ロゴよりも、ファッショナブルな月桂樹のブランド商品に注力した結果ファッショントレンドの波に苦労し、その後2002年サッカーワールドカップを梃子にスポーツ・三本線ロゴ強化に回帰し成功しました。ヨウジヤマモトの場合はその真逆で、パリでコレクションを発表しながら、ピラミッドの頂点の尖がったコアなお客様だけを相手にする事業を展開してきたわけです。頑なという点では、かつては日本人向けの小さいサイズもありませんでしたし、接客もコアなお客様とは対等な目線(=一見さんには厳しい目線)が基本でした。
鳩山
たしかに若い頃はお店に入るのに緊張した記憶があります。
※1 Boston Consulting Group (ボストン・コンサルティング・グループ)
1963年設立のアメリカのコンサルティング会社。1966年から日本市場での展開を始め、日本のコンサルティング業界の礎となった。略称はBCG。世界的企業上位500社の3分の2がクライアントに名を連ねている。